2007年12月28日

持続可能性という考え方 −環境倫理学の観点から−

 今日は、いつもと趣向を変えまして、環境倫理学をちょっとお勉強してみることにします。

 環境を守りたい。つまり、環境保全という考え方には、明確に確立された定義があるわけではないので、知的で思慮深い人々でも、環境保全について異なった信念を持つことが十分ありえます。
 今日のテーマである環境倫理学の観点から、環境保全について考えてみることにしましょう。環境倫理学の分野では、環境保護に関してさまざまな見解を認めており、生物中心主義・持続可能性・人間中心主義の3つの哲学的見解があります。それぞれを簡単に述べてみると、

○生物中心主義(biocentrism)
 生物中心主義においては、利用価値(instrumental value)と本質的価値(intrinsic value)の区別が重要になる。利用価値とは、有用性を持つこと、つまり、そのものが目的を達成することになんらかの役に立つということである。そして、本質的価値とは、なんの有用性も持たなくても、その存在自体が価値を持つという考え方である。例えば、凶悪殺人犯は、利用価値がないと考えるが、本質的価値は持つとされ、基本的な人権は与えられるのである。天然痘ウィルスも、生物種の利用価値は一般に負であると考えられるが、道徳的見地からその生命自体に本質的価値があると考える。
 生物中心主義とは、全ての生物は、利用価値の有無に関わらず、この本質的価値を持つという考え方である。動物愛護の運動は、生物中心主義のよい例である。ここでは、全ての人間に対し本質的価値を認めるのと同様に、すべての動植物個体に本質的価値を認めるのである。よって、狩猟・採取といった行動も嫌悪の対象となる。

○持続可能性(sustainability)
 持続可能性の中で、最も重要なのは生態系の健全性である。この考え方は、生態系を破壊しない限り、天然資源の利用は認められる。よって、魚釣りは認められるが、乱獲は認められない。また、森林の生態系を破壊しなければ、木材の伐採は許される。つまり、環境の長期の健全性が損なわれない程度に、人間の必要のために環境を利用することができるのである。

○人間中心主義(anthropocentrism)
 人間中心主義では、環境について利用価値しか認めない。環境は人間に物質的な満足を与えるという、唯一の目的のために存在しているというものである。絶滅寸前のトキが人間の役に立たないのなら価値はない、と考える。一方、トキが絶滅せずに元気に生きていることを知って、心を和ませる人がいる場合、トキに物質的ではなく精神的な価値があるということになる。この考え方は、人間中心主義とは異なり、功利主義と呼ばれている。

 こう見てみると、一目瞭然。持続可能性に着目したくなります。残りの二つは若干両極端といった感じがしますね。でも、そういう考え方もできるということを知っておくのは、一つ意味があることだと思います。
 この持続可能性の考え方は、環境倫理学の分野で認められる見解の1つというだけにとどまらず、現在では、国際会議などでも広く用いられているのは、既に記事で書いた通りです。

<過去の記事>
2007年12月23日:エコエコの原点は、、、「持続可能性」
http://eepd.seesaa.net/article/74245966.html




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posted by rido at 01:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | エココラム ブックマークに追加する
この記事へのコメント
今年最後ですのでご挨拶もかねて。
いろいろとお世話になりました。エコブログベータにも登録しました。

さて、持続可能性についてです。

欧米ではキリスト教社会倫理が当然基本にあるので、これはどちらかというと人間中心主義。(でも、実は人間中心主義でもないのですよね。それまでは教会中心主義、ルネサンス以後人間中心主義が生まれたわけですから。それはおいておきますが…)

万物の霊長たる人間が支配するという考え方の行き詰まりが自然破壊を生んでいるわけで、日本やアジアとの違いが生まれてくるわけですし、私たちが欧米やイスラムとの違いを理解して取り組むならば、「日本」という立ち位置が意外と効果的だったりします。

でも一番大切なことは実践するかということだと思います。頭でっかちな環境論を反省!!
Posted by blackocoffee at 2007年12月31日 12:11
blackocoffeeさん
コメントありがとうございます。
(返信遅くなりました。。)

この環境問題の捉え方ですが、おっしゃるとおりで、各宗教における立場を考える必要があります。日本の場合は、そういったところがうすいので、立ち位置としてはフリーということになり、日本が率先して、世界中へ訴えかけるというのは、一つ意味があるのではないかナーと思います。

とはいっても、確かに実践あるのみ。というのが一番なのかもしれませんね。
Posted by rido at 2008年01月05日 01:43
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